石橋正二郎は美術を通じた国際交流においても足跡を残しています。
イタリアで1895年以来2年に一度開催されるヴェネツィア・ビエンナーレ展では、世界各国が代表的アーティストの作品を自国パビリオンで展示し、いわば美術の実力を競い合っています。日本は1952年から公式参加し、イタリア側の用意した土地に常設パビリオンの建設を勧められましたが、政府の資金難により建設できない事態に陥っていました。用意されたのはパビリオンに適した最後の敷地。イタリア政府からは、1956年までに建設の見込みが立たない場合は第三国に割り当てる、との通告を受けており、これを逃すと、将来にわたって日本のパビリオンが実現できなくなる状況でした。
相談を受けた石橋正二郎は建設資金の支援を決意し、1955年にようやく日本館の建設が始まりました。
吉阪隆正設計による日本館は1956年春に竣工。その重厚で堂々とした造りは同年のヴェネツィア・ビエンナーレの話題となりました。ヴェネツィアに渡って開館式に出席した正二郎は「名士、各国新聞記者など五〇〇余名の集まりで雑踏をきわめ、日本館の建物は想像以上のものとして好評をはくし、世界各国に報道されわが国文化のために喜びであった」と記しています。