石橋文化センター建設寄贈

石橋正二郎は生涯を通じて、故郷であり、ブリヂストン創業の地である福岡県久留米市の発展に尽くしました。地域社会の文化向上に向けた正二郎の視線を我々は石橋文化センターの事績に感じることができます。
久留米市は1945年の空襲により全市の三分の二が焼け野原となり、多くの人々がバラックに住むことを余儀なくされました。正二郎は自著に戦後の久留米について「ただ繁盛しているのは不健全な娯楽だけで、これが青少年の思想に及ぼす影響はまさに憂うべきものであった」と記しています。
1953年の欧米視察で正二郎は西欧文化に強い印象を受け、久留米の文化振興のために文化センターの建設を決意します。計画はブリヂストンタイヤの創立25周年記念事業の一環として実現され、「石橋文化センター」として久留米市に寄贈されました。約3万平方メートル(当時)の敷地内には、美術館(石橋美術館)、体育館、50メートルプール、文化会館(仮設)、野外音楽堂、公園施設などが設けられ、1956年4月、一般に公開されました。

石橋文化センター全景(1956.4.26)
石橋文化センター全景(1956.4.26)
開園記念ページェント(1956.4.26)
開園記念ページェント(1956.4.26)

石橋文化センター正門には正二郎の自筆で「世の人々の楽しみと幸福の為に」と彫られています。開園の挨拶で正二郎はこう述べています。「人間は生れて一生を只生きる丈けで終るのでなく、楽しく幸福に一生を過し、生き甲斐あることが何より大切で、これには衣食住凡ての生活環境の向上が必要で、それは文化の発展によってもたらされるものであります」。正二郎は、市民の文化向上こそがよりよい社会を作り、地域の発展に寄与すると考えました。

「子供スケッチ大会」「文化センターを描く会」(1956.7.8)
「子供スケッチ大会」「文化センターを描く会」(1956.7.8)

その後も、石橋文化ホールと石橋文化会館の開館(1963年)、日本庭園の造営(1970〜72年)、石橋美術館別館(1996年)など、石橋文化センターは拡充が図られ、現在は約6万平方メートルの広さを持つ久留米市の地域文化の拠点となっています。
石橋文化センターの中核施設に石橋美術館があります。青木 繁、坂本繁二郎、藤島武二など、郷土久留米や九州出身の、近代日本洋画を代表する画家の作品を展示してきました。
石橋文化センター開園60周年を機に、2016年10月より久留米市に引き継がれ、名称も久留米市美術館と改めて、再スタートいたしました。

(左。現・久留米市美術館)(右。現・石橋正二郎記念館)
左:石橋美術館本館(現・久留米市美術館)
右:石橋美術館別館(現・石橋正二郎記念館)