石橋財団コレクションの形成

石橋財団のコレクションは、石橋正二郎が半世紀にわたって蒐集した美術品が基礎になっています。
正二郎は1927年頃から絵画の蒐集を始めました。当初の作品蒐集は自宅などの装飾が目的でしたが、1930年に大きな転換点を迎えます。それは、正二郎の高等小学校時代の図画の先生であった久留米出身の洋画家、坂本繁二郎からの依頼でした。正二郎はこのように記しています。「坂本さんは、郷里出身の青木繁はわが国の生んだ稀れな天才画家でいくたの傑作を残しているが、散逸したままでは惜しいから、私にこれを買い集めて小さい美術館でもよいから建ててもらいたい、と、温かい友情の気持をもらされた。私は洋画が好きであり、その意をうけて四〇才頃から一〇年あまりで『海の幸』その他の代表作などを数十点買い集めた」。

石橋美術館において青木繁《自画像》の前に立つ坂本繁二郎(中央、1960年)
石橋美術館において青木繁《自画像》の前に立つ坂本繁二郎(中央、1960年)

また、日本近代洋画の巨匠、藤島武二とも懇意になり、「藤島さんも、青木のように自分の作品も美術館を作って貰いたいと熱望されたので、既に手放された名作を数年かかって集めた」といいます。正二郎の絵画蒐集は、人々に公開することが早い時期から視野に入っており、それが後のブリヂストン美術館(現・アーティゾン美術館)と石橋美術館(現・久留米市美術館)の創設につながったと考えられます。

戦前は日本洋画を中心に蒐集していた正二郎ですが、やがてフランス印象派を中心とした西洋画にも対象を広げます。正二郎はこう記しています。「戦争中の疎開や戦後のインフレーションなど経済混乱に際して名画、古陶器、彫刻の売物が続々と現われたが、中にはアメリカに流出する名品もあることは残念で、私はこの期を逸せず極力買い集めた」。この時期の絵画蒐集には優れた作品の海外流出を防ぐという意図もあったと考えられます。自己の楽しみのためだけでなく、公共的な視点も併せ持って形成されたことが石橋財団コレクションの特徴といえます。

藤島武二と石橋正二郎(1942年)。右から石橋幹一郎、正二郎、藤島、岩佐新。後ろにあるのは《黒扇》。
藤島武二と石橋正二郎(1942年)。右から石橋幹一郎、正二郎、藤島、岩佐新。後ろにあるのは《黒扇》。

1952年のブリヂストン美術館開館後、正二郎は美術館運営委員会という専門家グループを組織し、1956年には石橋財団を創設します。正二郎の没後も石橋財団が美術館の維持運営を行い、コレクションの充実を図っています。優れた作品を蒐集して人々に公開するという正二郎の意思は現在も受け継がれています。