美術館事業

石橋財団の美術館事業は1952年のブリヂストン美術館開館が原点となっています。
戦前から戦後にかけて西洋絵画、日本洋画の一大コレクションを築き上げた石橋正二郎はかねて「コレクションを自分一人だけで愛蔵するよりも、多くの人に見せるため美術館を作り、文化の進歩に尽したい」という意思を抱いていました。戦後まもなくアメリカ各地の美術館を訪れた正二郎は本格的に美術館の創設を決意し、1952年、東京・京橋に落成したブリヂストンビルの2階全てをブリヂストン美術館として公開しました。
当時の日本は終戦から7年足らずで、復興と占領のさなかにありました。人々は優れた芸術を渇望していましたが、東京には西洋近代絵画と日本近代洋画を展示する美術館が存在しませんでした。そうしたなか、都心において西洋絵画、日本洋画の名品を一般に公開したブリヂストン美術館は大きなインパクトを与えました。たとえば、画家で日本美術家連盟会長の安井曾太郎は正二郎宛の感謝状にこう記しています。「あなたの御厚志が、ひとり美術家のみでなく、真正の美術にうえている一般都民の心に如何に大きい慰めと糧とを与えているかは、日々美術館につどう人々の無言の姿のうちに、はっきりと見られるのであります」※1。また、作家の武者小路実篤は「今年になって僕達美術好きにとって嬉しいことは京橋にブリヂストン・ガレリーが出来たことだ。(中略)自分達が若い時から夢見ていた小美術館が現実として立派に出来上っているのだ」※2と当時の新聞に寄稿しています。
1956年の石橋財団の創設は、美術館を永久の事業として育成発展していくことが目的のひとつでした。
また、正二郎は1956年、故郷久留米市に石橋文化センターを寄贈した際、その中心施設として石橋美術館を開館しました。開館以来、石橋財団は運営協力し、1977年からは久留米市より運営を受託してきましたが、2016年9月に運営を返還し、10月より久留米市美術館として活動をスタートしました。
石橋財団では、来館された方々が心ゆくまで美と親しめる環境を整えるとともに、美術講座や編集出版などを通じて、美の奥深さやその背景を伝える活動に取り組んでいます。

※1 :「日本美術家連盟から贈られた感謝状(1952年1月30日)」
※2 :「武者小路実篤「正月の眼福 ブリヂストン・ガレリーを見て」『産経新聞』(1952年1月23日)」